2011.01.02

サルコジ大統領、恒例の年末のあいさつ

 

日本では天皇陛下が新年の挨拶や天皇誕生日など国民に向かって直接メッセージを伝えることはあっても、首相みずからは所信表明など国会で演説する以外は我々国民には直接話しかけたりしない。だから天皇陛下のほうが首相より身近でフレンドリーな好印象を持つのは当然かもしれない。一方フランスでは毎年、大晦日の晩には大統領みずからがTVを通じて約10分間、エリゼ宮から直接、国民に語りかける。支持率26%と、この3年間で最悪のスコアにゆれるサルコジ大統領、それでも強気の姿勢を見せなければならないのはリーダーとしての使命だろう。

今年は何と言っても景気の悪化からくる失業者数の増加。つづいてユーロの混乱、ギリシアやアイスランドの経済破綻による混乱はEUの結束なくして強いユーロは維持できないとフランスのリーダー的立場を強調してみせる。また年金改革も国民のほとんどがゼネストするなかで、その支給年齢を遅らせるなど結局は強行突破した。また2014年の大統領選を意識してか、この3年間大胆に行った様々な改革も結果が見えはじめている。だから、この路線を2014年以降も続けさせて欲しい・・・そんな暗黙のメッセージが伝わって来る。

それにしても世界中が不況の嵐にみまわれている今日、日本だけが元気ないとか欧米だけが遅れをとっているとか中国だけが断トツに景気がいい、などとひと括りではいかなくなっているのが今の状況だ。だから、という訳でもないが「気持ちの持ち方次第で気分は変われること」を私は強調したい。リレー式に流れる世界各国からのカウントダウンの映像、インドでは雪が積もったらしい、オランダでは氷点下の中、水温4℃の恒例の北海の初泳ぎ、ロンドンではビックベンを背景に盛大な花火を打ちあげて次期オリンピックを開催する強いイギリスをアピールする。そして最後には中国の荘厳な除夜の鐘の音で神聖な気分に浸る。人間、どんな逆境に陥っても、そんなほんのちょっとした話題やユーモア・笑いで救われる。その一瞬の「あれっ、という感覚」こそが人間に与えられた最強の武器ではないだろうか。2011年、果たして今年はどんな年になるのだろうか?

         写真   エリゼ宮から中継されたサルコジ大統領のメッセージを伝える我が家のTV映像

vin et culture (2011.01.02)  |  未分類  | 

2010.12.31

アンドレ・プットマンの回顧展、パリ市庁舎で開催中

 

80年代、NYのホテル・モルガンの白黒の市松模様のバスルームを手掛けて”デザインホテル”という言葉を一躍世界的に広めたその立役者。コンコルド機の内装から仏文化省の執務室、スーパーマーケット・プリジュニックの大衆的家具まで20世紀という時代を駆け抜けてきたインテリアデザイナー、アンドレ・プットマンの回顧展がいまパリの市庁舎で開催されている。

「インテリアデザインとは文章の中の点や疑問符のようなもの…驚きや喜び、 感動を表現するための句読点の役割を果たすのよ。」 ――高級感あふれるミニマリズムにフレンチ・スノビズムをほどよくミックスした美。 そんなプットマンスタイルを世界中が認めた。 3ヵ月間にわたる彼女と過ごしたインタビューの日々、ある時、彼女はこんなことを言いました。 「デザインというものは常に生活に潤いをもたらしてくれる日常性があってこそ初めて価値があるもの。 大衆的でよりポピュラーなモノにこそデザイン性が必要よ。」

これは私がプットマンさんの本を上梓したときに書いた文章だが、「大衆的でポピュラーな物のなかにこそ”デザイン性”が必要だ」という言葉の奥には彼女の感性がすべて凝縮されているような気がする。フォントネ―修道院(現在はユネスコ世界遺産)を所有していた家族の一員として生まれ、幼少時代はブルジョアの厳格な教育をうけながらも常に時代に敏感で反骨精神旺盛だった彼女が辿り着いたところ、それは”大衆性”だった。ヨーロッパという階級社会が厳然と残るこの社会において、一部の特権階級だけが享受できるデザイン性の高い高級感などクソ喰らえ!! とでも言いたげなプットマンさん。ひとりでも多くの人に美しいものを手に入れてほしい、身近に使ってほしい、そんな彼女の姿勢こそが彼女の名を一躍世界的に押し上げた原点でもある。

それはパリの市庁舎の”公民館”のような場所で3ヵ月間という長い期間、無料で誰でもが見学できる、そんな展示方法を選んだのは誰よりもプットマンさん自身のチョイスでもあった。老若男女、入り口で長蛇の列に加わりながら、そんなことを漠然と思う師走の最後の日だった。

           写真   パリの市庁舎に掲げられた『アンドレ・プットマン スタイルの伝道者』展の巨大なポスター

vin et culture (2010.12.31)  |  未分類  | 

2010.12.28

近江のパワースポット!

12月の、とある暖かい一日、大阪から車で小一時間ほど走ったところに成安造形大学というアート系大学が主催する「棚田・里山・湖辺の郷 淡海の夢2010 風景展」という展覧会を観に行った。広大なキャンパスからは琵琶湖が一望のもとに見渡せる、まさに絶景だ!! この大学に行くには琵琶湖の西岸に連なる比叡山から比良山地を抜けるハイウェーを北上するのだが、そのあたりの景色が以前、訪れたことのあるスイスのローザンヌからモントルーに続くラヴォーと呼ばれるユネスコの世界遺産にも登録されたワイナリーにちょっと似ている。レマン湖に面した小高い丘に連なるぶどう畑、その斜面が比良山地の傾斜感と一致して琵琶湖とレマン湖というふたつの巨大な湖に流れる景色が一致する。自然の成せる技とはすごいものだ。

実は琵琶湖を訪れたのは、これが2回目。今年の8月、猛暑の真っただ中に湖北にある菅浦という町を訪ねたことがある。その”小津安二郎的”世界観の美しさに、しばし言葉を失ったのを思い出すが、しかし今回もまたその自然の豊かさには圧倒された。この辺りは”近江学”に代表される近江の文化・歴史・自然を保存しておこうというムーブメントが盛んだそうだ。この成安造形大学のなかにも「近江学研究所」というものがあり”芸術による社会への貢献” という趣旨に基づいて、ひろくこの地を愛する人たちをたばねて近江の未来を活性化していこうという活発な研究をしている。今回、私がたずねた展覧会でも、そんな近江の昔ながらの景観や人々の日常を描いた絵や写真が、そこに生活する人たちのストレートな視線で活き活きと描かれている。こんな地域を愛する人たちがひとつになって、その土地のことを語る。そんなパワーや誇りといったものが、また新しい人と人のつながりを生んでくれる、まさにパワースポットのような気がした。

       ( 写真  成安造形大学のキャンパス内に置かれた御影石で創られた無数の椅子、そこから琵琶湖が眺められる )

vin et culture (2010.12.28)  |  未分類  | 

2010.11.06

中国とフランスの蜜月

11月4日より3日間、中国主席の胡錦涛 ( Hu JINTAO ) がフランスにやって来た。サルコジ夫妻自らが飛行場までお出迎えという超VIP扱い。もみ手をしながら笑顔で握手をするサルコジ。それもそのはず、今回の最大の目的はAIRBUSの飛行機102機の購入(98億ユーロに相当)、原発最大手AREVAは10年間、2万トンのウランを供給(25億ユーロ)、加えてEPR次世代原発の共同開発も現在進行形。石油会社TOTALは中国の石油化学分野に20~30億ユーロ投資して中国エネルギー分野でもリードを狙う。そんな国家の屋台骨となる契約のためにわざわざ主席自らがお出ましになったのだから、サルコジ大統領がフルアテンドするなんてわけないことだ。

それにしても2年前の2008年、北京オリンピックの聖火を妨害したのはどこの国だっただろうか? ダライ・ラマと会談して少数民族を”人権”という名の下で保護すると声高に宣言したのは誰だったのか? 今年のノーベル平和賞で中国の人権活動家、劉暁波氏の授賞式をボイコットせよと欧州各国に書簡を送る国にどう対応すべきなのか? そういった諸々のことが”経済”という名の前ではすべて白紙撤回。本音と建前を平然とすみ分けるフランスの外交というものについて、ちょっと複雑な思いを感じた。

             (写真  中国とフランスの国旗がはためくパリのシャンゼリゼ大通り)

vin et culture (2010.11.06)  |  未分類  | 

2010.10.25

 どうしてフランスでは改革ができないのか?

街角に貼られた週刊誌のタイトルじゃないけど『なぜフランスは改革が出来ない国なのか?』。かつてナポレオンは「フランスには不可能の文字はない」と言った筈である! それなのに、どうして”アンポッシ―ブル” (不可能) なの?! すでに日本でも報道されていると思うが、フランスの「年金改革」に対する国民の反発は中途半端じゃない。今年の9月からもう4度目のゼネスト、国民の68%がこのゼネストを応援しているというから、如何にフランス人が一筋縄ではいかない国民性かが、これでもお分かりいただけるだろう。サルコジ大統領の支持率も26%にまで落ち込んだ。しかし大統領は「将来のフランスの姿を思えば今、改革をしておかなければそのツケは国民自身が払うことになる! 」と強気の姿勢だ。そのおかけか昨夜、とうとう国民議会(下院) の承諾を得て関連法案が可決された。しかし労組は来週、それを不服としてゼネストを決行すると強気のかまえだ。

それにしてもフランス人というのはどうしてこんなにも働くことが嫌いな国民性なのだろう!年金受給開始を現行の60歳から段階的に引き上げて2018年までに62歳にすることが要だ。これによって30年までに700億ユーロ を節減できるという。日本人だったら一日でも長く働きたい・社会と接触を保っていたいと考えるだろう(と、思う)。つまり、労働とは社会とのつながりを意味していることなのだから。自分の生きる証しを実感していたいから働くと考える日本人は多いはずである。しかしフランス人にとっては働くことは苦痛であり、たとえ仕事があっても社会的既得権を享受するには正規採用でなければダメ。5週間の有給休暇、子育て支援・母子家庭支援・・・。60歳定年制度はミッテラン社会党政権が導入した。超福祉国家の「大きな政府」を選んだのは国民自身である。だから、その既得権をかざすのは当然の権利・・・。それも分からなくはない。

先週末から万聖節の休暇がはじまった。日本で言えばお盆を意味するこの休暇、誰もが先祖のお墓参りをするために民族移動をする時期だ。それまでゼネストで街じゅうをデモ行進していた労働者、バリケードを張って授業をボイコットしていた高校生(!!) 。しかしバカンスという文字が現れた瞬間、みんな散り散りになってゼネスト解除。しかし、唯一ガソリン運搬人の労組が強硬なストに突入し、ガソリンスタンドが閉鎖される事態に追い込まれている。かろうじてサービスする一部のスタンドでは延々と2時間も待って20リットルの給油が許されている。「ストしている労組の気持ちもわかるけど、国の経済に影響を及ぼすのは問題だわ・・・」。昨日までゼネストしていたアナタ、バカンスという名の下で自分に都合よく解釈するのはいい加減、止めてほしいと思う。

      写真  街角に貼られた週刊誌のポスター『なぜフランスは改革することが不可能な国なのだろうか?』

vin et culture (2010.10.25)  |  未分類  | 

2010.10.24

『小さなハンカチ』が語りかけるもの

日本でいえばさしずめ妻夫木聡か福山雅治といったところだろうか。今、もっとも旬なフランスの若手人気俳優のギィヨ―ム・カネが3本目の映画を製作した。タイトルは『小さなハンカチ』( Les Petits Mouch0irs ) 。いわゆる男女8人の青春群像劇だ。タイトルの由来にもなった「ハンカチ」とは、「誰もがいつでも、どこでも自由に持ち歩くことが出来て、しかも涙を拭ったり鼻をかんだりと(失礼! フランス人はティッシュの代わりにハンカチを使う) 簡単に取り出せる必需品。そこから、この映画は誰もが必ず通り過ぎる日常の何げないひとコマ、ひとコマを描きたかった」とカネはいってる。

ストーリーはひとりの男がバイクにまたがって夜明けの街をはしっていると突然、交差点から飛び出してきたダンプと衝突。瀕死の重傷で病院に運ばれる。それを知った彼の友人たちが駆けつけてみると、その変わり果てた姿に一同ショックをうけ言葉を失う。毎年、恒例の夏のバカンス、気分転換にと今年もみんなで海辺の別荘に出発する。しかし、みんなの心の中では何かが変わってしまった。結婚生活に倦怠感を感じる夫は長年親しくしていた年配の男友だちに「恋心」を打ち明ける。突然の告白に友人はショックを受けたのは言うまでもない。ある女性は「不感症」を理由にひとを愛せない。そしてべつの男性は長年付き合っていた恋人から「別れ」を告げられる・・・。みんな、それぞれがそれぞれの問題を抱え、悩み傷つき、必死で乗り越えようとしている。しかし最後に訪れた仲間の死―それによって、みんなが新たな一歩を踏み出していくことを決心する・・・。

かつて日本でも『若者たち』とか『ふぞろいの林檎たち』といった青春の機微を描いた群像劇が大ヒットした時代があった。もう取り戻すことが出来ない青春の一ページ。そんな日々を様々な登場人物によって演じている姿は、誰もが自分の姿に重ねて観たものだ。カネ自身も数年前にブランクに陥り、その出口を見つけようともがいていた時期があった。その時に一番大切なものは友情であることに気がついた、と告白している。秋が深まろうとしている今日このごろ、こんな映画を観賞しながら、ふと自分のまわりを見つめ直すのもいい機会かもしれない。

                     写真  『小さなハンカチ』の看板をかかげるパリの映画館

vin et culture (2010.10.24)  |  未分類  | 

2010.10.17

「アルベール・カミュ小学校」の味覚レッスン

パリの味覚週間もたけなわの、とある午後、パリ郊外のポンディ―市にある『アルベール・カミュ小学校』の味覚授業に参加させてもらった。CM2と呼ばれるクラスは日本でいえば小5にあたる。この地域は移民が多く、ご覧の通りクラスも99%が移民の子供たちだ。味覚授業を担当するのはパスカル・ルロー先生で、彼女は「Siplarc」と呼ばれる給食センターの管理栄養士だ。

フランスでも日本と同様に市町村合併の動きはあちこちで行われており、このボンディー市も隣接するノワジー・ル・セック市と合併してひとつになった。Siplarcでは2001年より、そのふたつの市の学校や病院、老人ホーム、高齢者向け宅配などを手掛ける給食センターで、パスカルさんは学校の味覚教育に特に力を入れている。前回のブログでもお伝えしたように、”おばあちゃんのレシピ”を再現してマルシェで一般の人たちに味見をしてもらったり、『味覚週間』の最中には学校給食にもそのレシピを取り入れるなど、ひとりでも多くの移民の子供たちにもフランスの味を知ってもらおうと試みている。

味覚授業では子供たちが目隠しをして口に食べ物を運んでいる。パンに塗ったロックフォールチーズやレモン水、チョコレート、ポテトチップスなど塩辛い・苦い・酸っぱい・甘いを食べ比べている。そのたびに子供たちは眉に八の字を寄せたり、驚いてみたり、面白がったり・・・もう教室の中はワーワー、キャーキャーと大騒ぎ。それでもパスカルさんは持ち前の明るさと優しさで、生徒たちひとりひとりに語りかけるように味覚の違いを教えてあげる。そのたびに子供たちは思いっきりの笑顔で答えている。そのやり取りが何ともほほえましい。

最後には全員に味覚授業を終了した証しにディプロムを手渡している。このぐらいの年齢の子供たちは本当に素直だ。先生の言うことにひとつひとつ大きくうなずきながら、まるで吸い取り紙が水を吸い込むようにすべてを吸収している。まさに味覚教育が子供たちひとりひとりに食べることの楽しさや食べ物の大切さを教えてくれるまたとない機会だということが納得できた一日だった。

写真 ボンディ―市にある小学校の授業風景。クラスの子供たちの笑顔、ひとりひとりが真剣に食べ物の味を口の中で確かめている。

vin et culture (2010.10.17)  |  未分類  | 

2010.10.12

フランスの『味覚週間』がスタート

毎年恒例のフランスの『味覚週間』が10月11日より始まった。子供も大人もみんなで食べ物のおいしさを知ってもらおうと、フランス全国で食に関する様々なイベントが一週間繰り広げられる。その前夜祭にあたる先週末、パリ郊外のノワジー・ル・セックという移民がたくさん暮らす地域の朝市で、”おばあちゃんの郷土料理”という催しが開かれた。

パリから高速地下鉄のRERで下車すると、空気からしてエスニックっぽい。毎週、土曜日の朝市には様々な衣装に身を包んだ人たちがごった返している。その活気といったらもう凄いのなんのって圧倒されそうだ。「Siplarc」と呼ばれる市が運営する給食センターでは、『味覚週間』の間じゅう、学校給食で、このおばあちゃんの秘伝レシピを毎日日替わりで子供たちに食べさせようと試みている。給食センターの所長のアデリーヌ・ペナダラさんは「移民の家族の中にはフランスの郷土料理など食べたことのない子供たちもたくさんいます。またフランスに住みながらフランスの食材や食習慣を学んでいくのはとても大切なこと。そんな意味合いも込めて今年はおばあちゃんの秘伝レシピというアイデアが浮かびました。」と話してくれた。

月曜日にはアキテーヌ地方の『プール・オ・ポ』(今年の味覚週間のテーマでもあるフランス王、アンリ4世の没後400年を記念して彼の大好物だったこのトリ料理が至る所で振舞われる)、火曜日はカタルーニャ地方の『ビーフのペルピニオン風』、木曜日はノルマンディー地方の『イノシシのパテ』、金曜日にはノール地方の『白身魚のウォーターゾイ』が、それぞれ学校給食で出されることになっている。その日の朝市ではそんな料理を地元の人たちにも味見してもらおうと、シェフが来た人たちにサービスしている。

1990年にスタートしたフランスの『味覚週間』は、今では農業省や教育省がバックにつく国民的イベントへと成長した。全国の食品メーカーや料理人・職人、学校や一般市民など川上から川下までがひとつになって参加する大イベントは年を重ねるにつれて規模も大きくなり、今年はいよいよ日本でもデビューすることになった。しかし庶民的な大衆性こそが長続きの秘訣であることを、このフランスの人たちは決して忘れてはいない。

写真 セピア色のおばあちゃんの顔がイラストで描かれているポスター、Siplarcの所長アデリ―ヌさんとシェフのジャンピエールさん、大勢の人でごった返しているブースの様子

vin et culture (2010.10.12)  |  未分類  | 

2010.10.12

食べることが大好きな男のある物語

 

“フランス東部のロレーヌ地方出身のひとりの男がパリジャンになった。しかしキッシュロレーヌもミラベル(すもも) も決して忘れることはなかった。これはひとりのジャーナリストの物語。彼は世界中のほとんどの料理を食べつくした。そして辿り着いたのはフランス料理が一番だと。料理に生涯を捧げ、インディペンデントのコラムニストとして、地球にやさしく、世界中の味がスタンダード化されることにもの申し、ビオと喜びを愛し、スローフードの理念「美味しい・やましさのない・正当性」を継承する・・・” と、裏表紙に書かれている。 

『僕の辿ってきた食の道』(Mes chemins de table : hoebeke出版) 、そんなタイトルの本をつい最近出した我が友人、JPGENEの出版記念パーティーに駆けつけた。以前、”すごくおいしいビストロがあるから”とランチを誘ってくれた「ラシーヌ」という店の軒先を借りて、わざわざナンシー( 注 ロレーヌ地方の県庁所在地 ) から取り寄せたという「パテ・ド・ロレーヌ」と「ベルガモットのキャンデー」が振舞われた。

Le Monde Magazineに毎週、辛口だけど滅茶苦茶まっとうな食のコラムを書き続けて早7年、リベラシヨン、アクチュエル、ル・マタン・ド・パリ、ル・ヌーヴェル・オプス、ジェオ、ル・ポワン、レクスプレス、マリアンヌ、エールフランス・マガジン・・・・、見事なまでのその筆の冴えは右から左、中道派まですべての読者をひきつける。「終戦直後に生まれた僕は、当時やっと配給生活が終わったところ。教師の家系に生まれながら、僕だけがその系譜をたどらなかった。それは、もうスキャンダル! 貧しい生活のなかにも毎年庭でとれたミラベルを摘んで家族みんなでテーブルを囲んで分けあった。それが僕の原点」だと話してくれる。リベラションでは政治記者として鳴らした。しかし、ふとしたことでジャック・マキシマン(注 ロブションやデュカスと並ぶ超有名なグランシェフ) と知り合い、彼の厨房で2週間、料理の手ほどきを受けて料理に開眼。以来、食のコラムニストになった。

上着のポケットにさりげなく「Le Monde」紙を無造作に突っ込み、顔写真を撮られることをぜったいに拒む(食のジャーナリストはみんなそう! )、なによりもビンビン尖った議論好き。いわゆる一昔前にいそうなフランスの典型的左翼インテリジェントだ。考えてみれば私が70年代の中ごろに最初にパリにやってきた頃は、そんなフランス人が巷にゴロゴロしていたように思う。世界のグローバル化とともに世の中がスタンダード化されて、こんなフランス人も希少価値になりつつある。絶滅品種ならぬ、絶滅人種にならぬよう自分たちのアイデンティティーはしっかりと守りたい、そんなことを考えさせられた夜だった。

        写真  ロレーヌ産パテとベルガモット・キャンデー、著書にサインするJPGENE

vin et culture (2010.10.12)  |  未分類  | 

2010.10.11

『モンマルトル共和国』のぶどう収穫祭

フランスといえばワインの国。ボルドーやブルゴーニュ、アルザス・・・、フランスに馴染みのない人でも、こうしたネーミングを聞けば”なるほど”と喉をごくりと鳴らす人も多いはず。しかし案外と知られていないのがこのパリのモンマルトルにあるワイナリーだ。その名も「ヴィーニュ・ドュ・クロ・モンマルトル」( Vigne du Clos Montmartre ) と呼ばれており、畑は0,15 haの広さで所有者はパリ市、管理者は18区の区役所ということになっている。(注:モンマルトルのある場所が18区だから) 収穫量も昨年2009年は501リットル、1003本が生産された。畑は住宅街のど真ん中、背後にはサクレクール寺院の真っ白い塔がみえる。まさにパリのカンパーニュといった風情だ。

毎年10月の第二週目はモンマルトルの『ぶどう収穫祭』が行われる。今年は10月6~10日の4日間で、雲ひとつない快晴に恵まれたせいか50万人の人たちは訪れているというから『パリ・プラージュ』(セーヌ河の海水浴場)や『ニュイ・ブランシュ』(バリ中の真夜中の祭典)につづく「パリの3大祭り」のひとつだというのもうなずける。メトロを降りると偶然にもカフェのテラスに”モンマルトル共和国”( Republique de Montmartre ) と名乗る人たちと遭遇した。黒い帽子にビロードの黒いマント、赤いマフラー姿のリュック・レイナ―ルさんはトゥールーズ・ロートレックのような風情で、ちょっと知的な雰囲気が漂うと思ったら何と南仏のブドワンという町の市長さん。真ん中の恰幅の良い女性はマルティーヌ・モラン・ド・ウィエスニエスキさんといって東欧出身の貴族。左端のメガネをかけた美人はセリーヌ・ペテールさん、パリ市役所でドラノエ知事の右腕。なんか偶然にしてはお歴々の方たちに出会えたものだ。という訳で、この”モンマルトル共和国”について訊ねてみた。

1921年にモンマルトルの芸術家たちを中心に恵まれない子供たちを救済することを目的として誕生したのが始まりで、今では500人以上のメンバーがいるという。もともと、ここで獲れるワインを広めることを目的として生まれたワインの騎士団だが、ユーモアも交えて名前も”モンマルトル共和国”にしたという。共和国という名前だけあってメンバーたちは大臣・大使・領事・代議士・市民といった階級に分かれている。このリュックさん、否、レイナ―ル市長は大臣の肩書きでセリーヌさんは大使の肩書きをもっている。また今日、メンバーに認められたマルティーヌさんは代議士だ。皆さん、肩書きを記した名刺なんかも持っていて交換しあっているのがユーモラスでおかしい。

このモンマルトル辺りは通称「丘」とも呼ばれているが、ここに住む人たちは自分たちはフランス共和国とは一線を画す独立した村だと考えている。実際に一歩足を踏み入れると、ここがパリとは思えないほど閑静でのどかな風情は芸術家たちが好んで住みたがるのもよく分かる。こんなところで自分たちのぶどうを植えて、毎年秋の訪れとともにぶどう収穫祭をおこない”モンマルトル共和国”の一員としてワインで乾杯する。その収益は恵まれない子供たちの財団へと寄付される。そんな独立した共和国が本当に存在すればいいのに! と、思える出会いだった。

写真  ”モンマルトル共和国”の衣装を身にまとったワインの騎士団たち。メンバーの証し、メダルを披露してくれた。黒いビロードのマントには”モンマルトル共和国”のワッペンが縫い付けられている。今日、メンバーになったマルティーヌさんの表彰状。

vin et culture (2010.10.11)  |  未分類  | 

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  • 南谷桂子
    vinetculture@wanadoo.fr
    フランス在住
    株式会社ワインと文化社
    代表取締役・ディレクター

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