2010.10.25

 どうしてフランスでは改革ができないのか?

街角に貼られた週刊誌のタイトルじゃないけど『なぜフランスは改革が出来ない国なのか?』。かつてナポレオンは「フランスには不可能の文字はない」と言った筈である! それなのに、どうして”アンポッシ―ブル” (不可能) なの?! すでに日本でも報道されていると思うが、フランスの「年金改革」に対する国民の反発は中途半端じゃない。今年の9月からもう4度目のゼネスト、国民の68%がこのゼネストを応援しているというから、如何にフランス人が一筋縄ではいかない国民性かが、これでもお分かりいただけるだろう。サルコジ大統領の支持率も26%にまで落ち込んだ。しかし大統領は「将来のフランスの姿を思えば今、改革をしておかなければそのツケは国民自身が払うことになる! 」と強気の姿勢だ。そのおかけか昨夜、とうとう国民議会(下院) の承諾を得て関連法案が可決された。しかし労組は来週、それを不服としてゼネストを決行すると強気のかまえだ。

それにしてもフランス人というのはどうしてこんなにも働くことが嫌いな国民性なのだろう!年金受給開始を現行の60歳から段階的に引き上げて2018年までに62歳にすることが要だ。これによって30年までに700億ユーロ を節減できるという。日本人だったら一日でも長く働きたい・社会と接触を保っていたいと考えるだろう(と、思う)。つまり、労働とは社会とのつながりを意味していることなのだから。自分の生きる証しを実感していたいから働くと考える日本人は多いはずである。しかしフランス人にとっては働くことは苦痛であり、たとえ仕事があっても社会的既得権を享受するには正規採用でなければダメ。5週間の有給休暇、子育て支援・母子家庭支援・・・。60歳定年制度はミッテラン社会党政権が導入した。超福祉国家の「大きな政府」を選んだのは国民自身である。だから、その既得権をかざすのは当然の権利・・・。それも分からなくはない。

先週末から万聖節の休暇がはじまった。日本で言えばお盆を意味するこの休暇、誰もが先祖のお墓参りをするために民族移動をする時期だ。それまでゼネストで街じゅうをデモ行進していた労働者、バリケードを張って授業をボイコットしていた高校生(!!) 。しかしバカンスという文字が現れた瞬間、みんな散り散りになってゼネスト解除。しかし、唯一ガソリン運搬人の労組が強硬なストに突入し、ガソリンスタンドが閉鎖される事態に追い込まれている。かろうじてサービスする一部のスタンドでは延々と2時間も待って20リットルの給油が許されている。「ストしている労組の気持ちもわかるけど、国の経済に影響を及ぼすのは問題だわ・・・」。昨日までゼネストしていたアナタ、バカンスという名の下で自分に都合よく解釈するのはいい加減、止めてほしいと思う。

      写真  街角に貼られた週刊誌のポスター『なぜフランスは改革することが不可能な国なのだろうか?』

vin et culture (2010.10.25)  |  未分類  | 

2010.10.24

『小さなハンカチ』が語りかけるもの

日本でいえばさしずめ妻夫木聡か福山雅治といったところだろうか。今、もっとも旬なフランスの若手人気俳優のギィヨ―ム・カネが3本目の映画を製作した。タイトルは『小さなハンカチ』( Les Petits Mouch0irs ) 。いわゆる男女8人の青春群像劇だ。タイトルの由来にもなった「ハンカチ」とは、「誰もがいつでも、どこでも自由に持ち歩くことが出来て、しかも涙を拭ったり鼻をかんだりと(失礼! フランス人はティッシュの代わりにハンカチを使う) 簡単に取り出せる必需品。そこから、この映画は誰もが必ず通り過ぎる日常の何げないひとコマ、ひとコマを描きたかった」とカネはいってる。

ストーリーはひとりの男がバイクにまたがって夜明けの街をはしっていると突然、交差点から飛び出してきたダンプと衝突。瀕死の重傷で病院に運ばれる。それを知った彼の友人たちが駆けつけてみると、その変わり果てた姿に一同ショックをうけ言葉を失う。毎年、恒例の夏のバカンス、気分転換にと今年もみんなで海辺の別荘に出発する。しかし、みんなの心の中では何かが変わってしまった。結婚生活に倦怠感を感じる夫は長年親しくしていた年配の男友だちに「恋心」を打ち明ける。突然の告白に友人はショックを受けたのは言うまでもない。ある女性は「不感症」を理由にひとを愛せない。そしてべつの男性は長年付き合っていた恋人から「別れ」を告げられる・・・。みんな、それぞれがそれぞれの問題を抱え、悩み傷つき、必死で乗り越えようとしている。しかし最後に訪れた仲間の死―それによって、みんなが新たな一歩を踏み出していくことを決心する・・・。

かつて日本でも『若者たち』とか『ふぞろいの林檎たち』といった青春の機微を描いた群像劇が大ヒットした時代があった。もう取り戻すことが出来ない青春の一ページ。そんな日々を様々な登場人物によって演じている姿は、誰もが自分の姿に重ねて観たものだ。カネ自身も数年前にブランクに陥り、その出口を見つけようともがいていた時期があった。その時に一番大切なものは友情であることに気がついた、と告白している。秋が深まろうとしている今日このごろ、こんな映画を観賞しながら、ふと自分のまわりを見つめ直すのもいい機会かもしれない。

                     写真  『小さなハンカチ』の看板をかかげるパリの映画館

vin et culture (2010.10.24)  |  未分類  | 

2010.10.17

「アルベール・カミュ小学校」の味覚レッスン

パリの味覚週間もたけなわの、とある午後、パリ郊外のポンディ―市にある『アルベール・カミュ小学校』の味覚授業に参加させてもらった。CM2と呼ばれるクラスは日本でいえば小5にあたる。この地域は移民が多く、ご覧の通りクラスも99%が移民の子供たちだ。味覚授業を担当するのはパスカル・ルロー先生で、彼女は「Siplarc」と呼ばれる給食センターの管理栄養士だ。

フランスでも日本と同様に市町村合併の動きはあちこちで行われており、このボンディー市も隣接するノワジー・ル・セック市と合併してひとつになった。Siplarcでは2001年より、そのふたつの市の学校や病院、老人ホーム、高齢者向け宅配などを手掛ける給食センターで、パスカルさんは学校の味覚教育に特に力を入れている。前回のブログでもお伝えしたように、”おばあちゃんのレシピ”を再現してマルシェで一般の人たちに味見をしてもらったり、『味覚週間』の最中には学校給食にもそのレシピを取り入れるなど、ひとりでも多くの移民の子供たちにもフランスの味を知ってもらおうと試みている。

味覚授業では子供たちが目隠しをして口に食べ物を運んでいる。パンに塗ったロックフォールチーズやレモン水、チョコレート、ポテトチップスなど塩辛い・苦い・酸っぱい・甘いを食べ比べている。そのたびに子供たちは眉に八の字を寄せたり、驚いてみたり、面白がったり・・・もう教室の中はワーワー、キャーキャーと大騒ぎ。それでもパスカルさんは持ち前の明るさと優しさで、生徒たちひとりひとりに語りかけるように味覚の違いを教えてあげる。そのたびに子供たちは思いっきりの笑顔で答えている。そのやり取りが何ともほほえましい。

最後には全員に味覚授業を終了した証しにディプロムを手渡している。このぐらいの年齢の子供たちは本当に素直だ。先生の言うことにひとつひとつ大きくうなずきながら、まるで吸い取り紙が水を吸い込むようにすべてを吸収している。まさに味覚教育が子供たちひとりひとりに食べることの楽しさや食べ物の大切さを教えてくれるまたとない機会だということが納得できた一日だった。

写真 ボンディ―市にある小学校の授業風景。クラスの子供たちの笑顔、ひとりひとりが真剣に食べ物の味を口の中で確かめている。

vin et culture (2010.10.17)  |  未分類  | 

2010.10.12

フランスの『味覚週間』がスタート

毎年恒例のフランスの『味覚週間』が10月11日より始まった。子供も大人もみんなで食べ物のおいしさを知ってもらおうと、フランス全国で食に関する様々なイベントが一週間繰り広げられる。その前夜祭にあたる先週末、パリ郊外のノワジー・ル・セックという移民がたくさん暮らす地域の朝市で、”おばあちゃんの郷土料理”という催しが開かれた。

パリから高速地下鉄のRERで下車すると、空気からしてエスニックっぽい。毎週、土曜日の朝市には様々な衣装に身を包んだ人たちがごった返している。その活気といったらもう凄いのなんのって圧倒されそうだ。「Siplarc」と呼ばれる市が運営する給食センターでは、『味覚週間』の間じゅう、学校給食で、このおばあちゃんの秘伝レシピを毎日日替わりで子供たちに食べさせようと試みている。給食センターの所長のアデリーヌ・ペナダラさんは「移民の家族の中にはフランスの郷土料理など食べたことのない子供たちもたくさんいます。またフランスに住みながらフランスの食材や食習慣を学んでいくのはとても大切なこと。そんな意味合いも込めて今年はおばあちゃんの秘伝レシピというアイデアが浮かびました。」と話してくれた。

月曜日にはアキテーヌ地方の『プール・オ・ポ』(今年の味覚週間のテーマでもあるフランス王、アンリ4世の没後400年を記念して彼の大好物だったこのトリ料理が至る所で振舞われる)、火曜日はカタルーニャ地方の『ビーフのペルピニオン風』、木曜日はノルマンディー地方の『イノシシのパテ』、金曜日にはノール地方の『白身魚のウォーターゾイ』が、それぞれ学校給食で出されることになっている。その日の朝市ではそんな料理を地元の人たちにも味見してもらおうと、シェフが来た人たちにサービスしている。

1990年にスタートしたフランスの『味覚週間』は、今では農業省や教育省がバックにつく国民的イベントへと成長した。全国の食品メーカーや料理人・職人、学校や一般市民など川上から川下までがひとつになって参加する大イベントは年を重ねるにつれて規模も大きくなり、今年はいよいよ日本でもデビューすることになった。しかし庶民的な大衆性こそが長続きの秘訣であることを、このフランスの人たちは決して忘れてはいない。

写真 セピア色のおばあちゃんの顔がイラストで描かれているポスター、Siplarcの所長アデリ―ヌさんとシェフのジャンピエールさん、大勢の人でごった返しているブースの様子

vin et culture (2010.10.12)  |  未分類  | 

2010.10.12

食べることが大好きな男のある物語

 

“フランス東部のロレーヌ地方出身のひとりの男がパリジャンになった。しかしキッシュロレーヌもミラベル(すもも) も決して忘れることはなかった。これはひとりのジャーナリストの物語。彼は世界中のほとんどの料理を食べつくした。そして辿り着いたのはフランス料理が一番だと。料理に生涯を捧げ、インディペンデントのコラムニストとして、地球にやさしく、世界中の味がスタンダード化されることにもの申し、ビオと喜びを愛し、スローフードの理念「美味しい・やましさのない・正当性」を継承する・・・” と、裏表紙に書かれている。 

『僕の辿ってきた食の道』(Mes chemins de table : hoebeke出版) 、そんなタイトルの本をつい最近出した我が友人、JPGENEの出版記念パーティーに駆けつけた。以前、”すごくおいしいビストロがあるから”とランチを誘ってくれた「ラシーヌ」という店の軒先を借りて、わざわざナンシー( 注 ロレーヌ地方の県庁所在地 ) から取り寄せたという「パテ・ド・ロレーヌ」と「ベルガモットのキャンデー」が振舞われた。

Le Monde Magazineに毎週、辛口だけど滅茶苦茶まっとうな食のコラムを書き続けて早7年、リベラシヨン、アクチュエル、ル・マタン・ド・パリ、ル・ヌーヴェル・オプス、ジェオ、ル・ポワン、レクスプレス、マリアンヌ、エールフランス・マガジン・・・・、見事なまでのその筆の冴えは右から左、中道派まですべての読者をひきつける。「終戦直後に生まれた僕は、当時やっと配給生活が終わったところ。教師の家系に生まれながら、僕だけがその系譜をたどらなかった。それは、もうスキャンダル! 貧しい生活のなかにも毎年庭でとれたミラベルを摘んで家族みんなでテーブルを囲んで分けあった。それが僕の原点」だと話してくれる。リベラションでは政治記者として鳴らした。しかし、ふとしたことでジャック・マキシマン(注 ロブションやデュカスと並ぶ超有名なグランシェフ) と知り合い、彼の厨房で2週間、料理の手ほどきを受けて料理に開眼。以来、食のコラムニストになった。

上着のポケットにさりげなく「Le Monde」紙を無造作に突っ込み、顔写真を撮られることをぜったいに拒む(食のジャーナリストはみんなそう! )、なによりもビンビン尖った議論好き。いわゆる一昔前にいそうなフランスの典型的左翼インテリジェントだ。考えてみれば私が70年代の中ごろに最初にパリにやってきた頃は、そんなフランス人が巷にゴロゴロしていたように思う。世界のグローバル化とともに世の中がスタンダード化されて、こんなフランス人も希少価値になりつつある。絶滅品種ならぬ、絶滅人種にならぬよう自分たちのアイデンティティーはしっかりと守りたい、そんなことを考えさせられた夜だった。

        写真  ロレーヌ産パテとベルガモット・キャンデー、著書にサインするJPGENE

vin et culture (2010.10.12)  |  未分類  | 

2010.10.11

『モンマルトル共和国』のぶどう収穫祭

フランスといえばワインの国。ボルドーやブルゴーニュ、アルザス・・・、フランスに馴染みのない人でも、こうしたネーミングを聞けば”なるほど”と喉をごくりと鳴らす人も多いはず。しかし案外と知られていないのがこのパリのモンマルトルにあるワイナリーだ。その名も「ヴィーニュ・ドュ・クロ・モンマルトル」( Vigne du Clos Montmartre ) と呼ばれており、畑は0,15 haの広さで所有者はパリ市、管理者は18区の区役所ということになっている。(注:モンマルトルのある場所が18区だから) 収穫量も昨年2009年は501リットル、1003本が生産された。畑は住宅街のど真ん中、背後にはサクレクール寺院の真っ白い塔がみえる。まさにパリのカンパーニュといった風情だ。

毎年10月の第二週目はモンマルトルの『ぶどう収穫祭』が行われる。今年は10月6~10日の4日間で、雲ひとつない快晴に恵まれたせいか50万人の人たちは訪れているというから『パリ・プラージュ』(セーヌ河の海水浴場)や『ニュイ・ブランシュ』(バリ中の真夜中の祭典)につづく「パリの3大祭り」のひとつだというのもうなずける。メトロを降りると偶然にもカフェのテラスに”モンマルトル共和国”( Republique de Montmartre ) と名乗る人たちと遭遇した。黒い帽子にビロードの黒いマント、赤いマフラー姿のリュック・レイナ―ルさんはトゥールーズ・ロートレックのような風情で、ちょっと知的な雰囲気が漂うと思ったら何と南仏のブドワンという町の市長さん。真ん中の恰幅の良い女性はマルティーヌ・モラン・ド・ウィエスニエスキさんといって東欧出身の貴族。左端のメガネをかけた美人はセリーヌ・ペテールさん、パリ市役所でドラノエ知事の右腕。なんか偶然にしてはお歴々の方たちに出会えたものだ。という訳で、この”モンマルトル共和国”について訊ねてみた。

1921年にモンマルトルの芸術家たちを中心に恵まれない子供たちを救済することを目的として誕生したのが始まりで、今では500人以上のメンバーがいるという。もともと、ここで獲れるワインを広めることを目的として生まれたワインの騎士団だが、ユーモアも交えて名前も”モンマルトル共和国”にしたという。共和国という名前だけあってメンバーたちは大臣・大使・領事・代議士・市民といった階級に分かれている。このリュックさん、否、レイナ―ル市長は大臣の肩書きでセリーヌさんは大使の肩書きをもっている。また今日、メンバーに認められたマルティーヌさんは代議士だ。皆さん、肩書きを記した名刺なんかも持っていて交換しあっているのがユーモラスでおかしい。

このモンマルトル辺りは通称「丘」とも呼ばれているが、ここに住む人たちは自分たちはフランス共和国とは一線を画す独立した村だと考えている。実際に一歩足を踏み入れると、ここがパリとは思えないほど閑静でのどかな風情は芸術家たちが好んで住みたがるのもよく分かる。こんなところで自分たちのぶどうを植えて、毎年秋の訪れとともにぶどう収穫祭をおこない”モンマルトル共和国”の一員としてワインで乾杯する。その収益は恵まれない子供たちの財団へと寄付される。そんな独立した共和国が本当に存在すればいいのに! と、思える出会いだった。

写真  ”モンマルトル共和国”の衣装を身にまとったワインの騎士団たち。メンバーの証し、メダルを披露してくれた。黒いビロードのマントには”モンマルトル共和国”のワッペンが縫い付けられている。今日、メンバーになったマルティーヌさんの表彰状。

vin et culture (2010.10.11)  |  未分類  | 

2010.10.04

日本とフランス、なんとなく「骨董」

『日本文化の影響と暮らしの美学』と銘打ったイベントがパリの蚤の市、クリニャンクールで開催されている。オープニングパーティーの晩は散々な天候だったにもかかわらず、それでもアンティークファンや日本文化に興味のある人たちがたくさん訪れて、日本酒とワインで乾杯しながら大いににぎわっていた。

それにしても最近、フランスでは日本が何かとブームで「日本が大好き」「日本に行ったことがある」「日本語を勉強してもう一度行きたい」・・・といったフランス人がどんどん増えている。かつて、日本の若者が”外向き”だった時代には、なぜかフランスは日本人にとっては憧れの外国ナンバーワンだった。特に若い女性を中心とした観光客は引きも切らず、「パリ症候群」なんていう言葉も流行したほどだ。日本人でもアメリカ西海岸派とフランスパリ派とふたつのタイプに分かれるほどだった。

しかし、ではパリの何が好きなのか?と聞いてみると、「なんとなく」「あの独特な雰囲気」「セーヌ河の流れ」・・・といった何とも実態のつかめないパリ像なのである。料理とかワイン、ファッションに芸術といった確固たるモチベーションがある人は極々ひとにぎり。蚤の市に何げなく飾られている日本のアンティークが実に西洋の骨董品のなかに溶け込んで活き活きと輝いている姿を見ていると、案外と日本とフランスの文化は結構、相性がいいのかもしれない。

フランス人が日本を好きな理由も、日本人がフランスを好きな理由も、もしかしたら「なんとなく」、なのかもしれない。かつて田中康夫の『なんとなくクリスタル』という本が大ヒットしたけれど、いままた「好き」に理由なんかいらない時代に突入したのかもしれない。

 写真 クリニャンクールの蚤の市でのオープニングパーティー。日本と西洋骨董が自然と溶け合っている。

vin et culture (2010.10.04)  |  未分類  | 

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  • 南谷桂子
    vinetculture@wanadoo.fr
    フランス在住
    株式会社ワインと文化社
    代表取締役・ディレクター

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