2011.06.19

『鉄筋コンクリートの父』、オーギュスト・ペレの教会

取材でルアーヴルという街に行った。パリから車でおよそ2時間、フランス北西部、セーヌ川河口の大西洋に面した港湾都市でマルセイユに次いで2番目の貿易港だ。印象派の画家のモネが何枚も風景画を残しているからご存知の方も多いことだろう。ここは第二次世界大戦の”ノルマンディー作戦”で壊滅した都市で、その後、フランスのオ―ギュスト・ペレという建築家によって見事に復興した。彼は『鉄筋コンクリートの父』とも呼ばれており、このルアーヴルの再建に中心的役割を担った。

街の中心部にはペレ自身が建てた公団アパートが何軒か残っているが、その内装は「アトリエ・ペレ」と呼ばれる当時のアパートのモデルルームで見学することができる。しかし何と言っても圧巻なのはランドマークともいえる「サンジョセフ教会」の建物だ。なかに一歩入ると107メートルもある八角形の天井は4つの大きな柱でがっちりと支えられており、まるでモザイクをはめ込んだような幾何学模様の無数の小さな窓からは時間帯によって刻々と変化する色彩が洪水のように外光として入ってくる。その美しさといったら、もう感動的!ロマネスクやゴチック式教会を見なれている私たちには、こうした近代建築による教会というのはとても興味深い。

ペレは安価で造形性に富むコンクリートを石材よりも優れた材料であると言っていたが、ルアーヴルの街は大戦でほぼ壊滅状態だったのでコンクリートでゼロからのスタートを余儀なくされたのだろう。シンメトリーな街の構造にどっしりとしたモニュメンタリズムを思わせる頑強な建物は直線ラインが美しく、ギリシアのパンテノン宮殿や日本の桂離宮などにも負けないぐらいの圧倒的な”力”を感じさせてくれる。そんな彼の残した様々な建築物はルコルビュジエやグロピウスなどにも影響を与えている。しかし残念ながら、この教会が完成した時にはすでにペレは他界していたという。

ルアーヴルの街の見どころは他にもたくさんある。簡易建築であるプレハブやモデュ―ルの機能的な活用、そしてコンクリート構造の革新的な建造物など都市計画としても高い評価を受けて、2005年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。街の復興は現在、日本の被災地でも大きな課題として着々と進められているが、海岸沿いの街という意味でも共通点がいくつかあげられる。街全体の外観・機能性・文化度・快適さなど、そこに住む人たちが誇れる街づくりになることは間違いないだろう。ルアーヴルの街で出会った人たちに「住み心地はいかがですか?」と質問すると、全員が間違いなく「ペレの都市計画の美しさは私たちの誇りです」という返事が返ってきた。

          

        写真  建築家オ―ギュスト・ペレによるルアーヴルの街の全景、「サンジョセフ教会」の美しい内観と外観

vin et culture (2011.06.19)  |  未分類  | 

2011.05.29

2011年、『隣人祭り』は仙台からスタート

2011年5月27日は世界の『隣人祭り』の日。12年目を迎える今年は、世界34ヶ国、950万人以上の人たちがひとつにつながる。そのスタートを切ったのは仙台市だった。被災から2ヵ月半、こんな時だからこそ仙台市民がみんな頑張ってる姿を世界中にアピールしたいと仙台市役所が「勇気の表明」を決断した。そんな熱い言葉に背中を押されて、仙台の奥山 恵美子仙台市長とパリの『隣人祭り』本部のアタナーズ・ぺリファンさんのスカイプによる交信がライブ中継で行われた。

「仙台メディアテーク」の会場ではスカイプ交信のための準備が着々と進められる。仙台市役所のスタッフに混じってフランスからも「France24」というTV局が取材にやって来た。またパリサイドではフランスの民間TV局「TF1」がカメラを回している。その様子はお昼のニュースと夜のニュースと2回、全国的に放送される。隣人祭りの会場になった「あすと長町」の仮設住宅には現在25世帯が住んでいるが、その住民たちと現地のNPO「パーソナルサポートセンター」のスタッフたちが100人前の炊き出しを行っている。祭りの気分は否応無く盛りあがってくる。そんな様子もパリ本部のスタッフたちに同時進行で伝えられていく。

仙台18時、パリ10時。いよいよ『隣人祭り』のスタートだ。奥山市長から現在の仙台の様子を伝えていただき、つづいて長町の『隣人祭り』の映像がパリにも伝えられる。パリではクロワッサンにカフェという朝食スタイル、あすと長町では野菜の筑前煮やコロッケカレー、手羽先の炭火焼など夕食がふるまわれた。奥山市長からは、こんなメッセージをいただいた。「こんにちは、パリのみなさん。今なお、1,700人を超える避難所暮らしの方など、本来の暮らしに戻れない市民が大勢います。貴方はじめ世界中の多くの方から寄せられる支援も、私たちの大きな力となっています。」 「今回の震災の中で、私たちは改めて、生活において真に大事なものを再認識する機会を得ました。困難な日々にパニックもなく乗り切れたのは、助け合い、励まし合うこと、他人に気を遣うことなどの、”人と人とのつながり”に支えられている感覚があったから。大きな苦難ではありましたが、人の絆やコミュニティのかけがえのなさを再認識したことは、必ず、これからの街の復興の基にもなると確信します。」

 それに対してぺリファンさんは、こう答える。「こんにちは、ぺリファンです、はじめまして(日本語!)。 仙台市民の勇気と前向きな姿勢に心から敬意を表します。こんな大震災に見舞われた市民が、前向きに”生きていく権利”があることをしっかりと仙台市長が声高に言葉に表して伝えてくれました。その気持ちに感動します。今年で12回目を迎える『隣人祭り』を仙台市からスタートできたことは僕たちにとっても誇りです。こんなに苦しいな時ではありますが、世界中の人たちが、いつもみなさんのそばにいることを決して忘れないでください。」

最後はシャンパンでカンパーイ!とぺリファンさんが勢いよく抜栓したところ、そのシャンパンがなんとPCに流れ込んでスカイプ交信は一時中断。それにもめげず、やっと交信が再開してブラボー!ブラボー!と相成ったのでした。

   写真  「仙台メディアテーク」で奥山市長を迎えて、パリの『隣人祭り』のぺリファンさんたちスタッフとスカイプでつながる様子。「あすと長町」の仮設住宅で行われた『隣人祭り』では100人近いひとたちが集まってくれた。市役所のスタッフたちの入念なチェックが行われる。フランスからもTV局が取材、パリの『隣人祭り』でもぺリファンさんを取材するTF1のカメラ。当日の司会と進行役をつとめた私。最後は全員がパリのスタッフに手を振っておひらき。

vin et culture (2011.05.29)  |  未分類  | 

2011.04.16

グルノーブル市で行われた等身大の避難訓練

1968年の冬季オリンピックで一躍、世界的に有名になったフランスのグルノーブル市。クロード・ルルーシュ監督の『白い恋人たち』は日本でも大ヒットした。あの甘いメロディーにのって、白銀の世界で記録に向かって挑戦する選手たちの13日間を追ったドキュメンタリー映画は、まさに青春の記念碑的な作品だった。なかでも男子アルペンスキーでは地元フランスのジャン=クロード・キリー選手が滑降、大回転、回転の三冠を達成して大会のヒーローとなったことは記憶にも残る。そんなグルノーブル市で4月14日、マグニチュード5-6を想定した避難訓練が行われた。

グルノーブル市とその近辺の50万人の住民を対象にして行われたこの日の避難訓練では、実際に町なかにある工場跡からひとりの女性が「私の子供・子供!」と叫びながら、がれきの中から這い出し、20人が行方不明になったことをシミュレーションして行われた。そのすぐ直後には警視庁のサイレンが町中に響きわたり緊急事態を告げる。地元の小学校では先生に引率されながら全員が机の下にもぐり、頭にはかばんを載せ、またジャケットを巻き付けながら校舎の外に避難。すべてが等身大で行われた。

グルノーブルのレスキュー隊は先日の東日本東北大震災のときにも出動したことから、実際に日本での体験を踏まえた上で、その地震と津波の怖さを地元の住民にも知ってもらおうと訓練が行われたものとみられる。フランスが地震大国だということはあまり知られていないが、このグルノーブル市のあるアルプス地方やスペイン国境のピレネー山脈一帯は地震地帯として知られている。過去を遡れば15世紀以降、アルプス一帯は20回近くも大地震に見舞われ、そのなかでもマグニチュード7-8級は5回ぐらい起きている。「マグニチュード6規模の地震はフランス南東部にも300年規模で起こりうる可能性がある。すでに東北地方では1000年に一度と言われる地震が実際に起こった。地球上が地震活動期にはいったことも考えられる。」と地元の地震専門家は言う。

警察が発表したこの日の「犠牲者」数は、死者65名、重傷者56名、軽傷者23名だった・・・。

       写真  マグニチュード5-6を想定したシミュレーションに従ってけが人を搬送するレスキュー隊  (Le Parisien紙)

vin et culture (2011.04.16)  |  未分類  | 

2011.04.11

Tyvek® Classic Plus

 

東日本東北大震災は今日で一か月を迎えた。まだ家族の安否が確認できない方や避難所生活を余儀なくされている方たちの不便を思うと心が痛む。茨城県の鹿嶋というところに父方の古い家がある我が家でも、そこに通じる霞ヶ浦の橋も倒壊し、その開通を待って先日、家族が見に行ったところ、家の土壁は崩壊して土台もぐらついているという。昭和初期に建てられた家、子供のころを過ごした思い出の詰まった家だけに、できれば何としてでも自分たちの手で修復してみようということになった。そのために私は急遽、帰国することを決めた。

しかし、私の周りにいるフランスの友人たちは「放射能の危険性を貴女は分かっていない! 」と忠告してくれる。せめても放射能から身を守るためにも防御服を持って行った方がいいと薦められた。しかし、そんなものがどこに売ってるのかもわからない。ネットで検索してみると” デュポン・ド・ネムール” という特殊繊維を開発するメーカーが非常時用の衣料品やグッズを生産していることが分かった。早速、その会社にメールをして家族の人数分を注文しようとしたらメーカーからは直接パーソナルユ―ズは受け付けていない。パリ近郊のディストリビューターを紹介すると言って4軒のアドレスを連絡してくれた。その一軒、一軒にコンタクトをするも、結局はどこもプロ仕様でなければ販売できないと剣もほろろの対応。あの真っ黒な津波がどんどん押し寄せて家も車も人も呑み込み、福島原発の不気味なまでの姿をTVで観た筈じゃない!  と内心怒り心頭していた私は、「フランス人というのは本当に融通のきかない国民性だ。困った時にはお互い様。業者であろうと個人であろうと必要としている時に必要な人が手に入れられなかったらいったい何の意味があるんだろう! 」。そう思いデュポン・ド・ネムールの担当者にメールで現状を訴えた。

すると彼からすぐに電話がかかってきて、「貴女の家は原発から何キロぐらい離れているところにあるのですか? それならTyvek® Classic Plusというタイプがいいでしょう。在庫を見てサンプルがあればすぐにお送りします。」 それから数分後にまた電話がかかってきた。「ありました! 3着ですね。すぐに宅急便で送ります。いつ日本には出発するのですか? 間に合うといいんですが・・・」。こうして翌日、サンプルは無事に我が家に到着した。すぐにお礼の電話をかけると、「良かった、良かった! でもマスクと手袋も絶対に忘れないように。普通の繊維のものではダメです。ついでに雨靴のようにズボンのすそがすっぽりと隠れるものを着用してください。 ポン・クラージュ(頑張って) ! 」 さすがに緊急時用の衣類やグッズを販売する担当者だけに反応も早い。 そんな彼の善意を私は一生、忘れることはないだろう。

  

          写真   送られてきた放射能防御用ツナギはこんな感じ

vin et culture (2011.04.11)  |  未分類  | 

2011.03.21

今だからこそ震災孤児を守ろう!

 

戦後、最大の被害をもたらした東日本大震災、毎日、新聞・TVの悲惨な様子を見ていると胸が痛む。しかし、そんな報道の合い間にわずかな光とも思える出来事の数々に涙する。地震当日に誕生した元気な赤ちゃん、人間の生命力というのは私たちの想像をはるかに超えて強い。7日ぶりにがれきの下から奇跡的に救助された尊い命、冷蔵庫が近くにあったおかげで9日間、生き延びることができたというおばあちゃんと孫。家族との再会が果たせた人、一方ではすべてを失った人たちがいる。そんな今だからこそ、「生きてること」の意味をそっと考えてみよう。自分の命が未来につながる尊い一歩だということを実感している人たちも少なくないに違いない。

かれこれ数年前になるが、フランスのシャンソン歌手のシャルル・アズナブールさんをインタビューしたことがある。彼はフランスに住むアルメニア人だが、アルメニアという国もまた地震大国で知られる。人口324万人の小さな国で、1988年に襲った大地震では3万人近い人たちの命が失われた。また1915年には隣国トルコによる民族浄化・大虐殺で150万人の人たちが犠牲になった。そんな重い過去を持つ国だけに「人間の命の尊さ」を国民ひとりひとりが胸に刻んでいるに違いない。そんなアズナブールさんは私にこう言った。「大地震で孤児になった子供たちが国外に連れ去られないようにと国民一人一人が里親になって守りました。子供は国の宝です。」

今度の地震で日本でも震災孤児がこれからたくさん増えていくだろう。そんな子供たちを、私たち日本人は同じ日本人として、そして国の宝として、みんなで守っていこう。私たち一人一人ができること、それはほんの小さなことかもしれない。でもその小さな輪が、やがて大きな絆として日本全国を覆い尽くしてくれることを信じている。

                                                      写真  Charles Aznavour 提供

vin et culture (2011.03.21)  |  未分類  | 

2011.03.17

2011.3.11 東日本大震災、連帯感の連鎖

東日本の被災者の皆さまには心からのお見舞いを申し上げます。そして、一刻も早い復興を心からお祈りいたします。

「カタストロフ―天変地異」の大きな見出しが一斉にフランスの新聞の一面記事にならんだ。マグニチュード9、真っ黒い津波が三陸海岸を猛スピードで襲っていく。その恐ろしい光景に世界中が言葉を失った。そして、いま、福島原子力発電所の爆発で大量の放射性物質が大気中にまき散らされている。いったい、どうして?  どこまでこんな最悪なシナリオが待っているのだろうか! 遂に来るべきものが来てしまったのだろうか。

遠く離れているもどかしさ、どんなに最悪な状況を想定してもやっぱり日本のみんなと一緒に現地で復興に向けて行動したいと願う。地震以来、フランス人の友人はほぼ全員、間違いなく私に応援コールをしてくれた。普段、ご無沙汰している人、関係客先の人、いつも買い物している近所のマルシェのおじさんやおばさん、建物の隣人、町を歩いていても私が日本人だと分かると「頑張って、ボンクラージュ!」と声をかけてくれる。中には「ブルターニュやプロバンスに家があるので、貴女の家族や友人などで一時”疎開”したい人たちがいれば、いつでも受け入れ体制はOKよ。」と手を差し伸べてくれる友人もいる。本当にありがたいことだ。

想像を絶する天災を前にして人は無力であることを学んだ。しかし、また人はどこまでも助け合い、つながり合えることも知った。いま、”連帯感”があの忌まわしい津波を超えて世界中から押し寄せ、それが連鎖反応を起こして広がっていることを心から嬉しいと思う。

            写真  フランスの各新聞の一面記事には大震災の悲惨な様子を伝える見出しが大きく躍る

vin et culture (2011.03.17)  |  未分類  | 

2011.01.25

プッサン・ファミリーの日本横断記 その1.

世界には実にいろんな人がいる。私の友人のプッサン・ファミリーも間違いなく「そんな人」のひとりである。1994年、若きアレキサンドル・プッサンは友人とふたりで自転車に乗って25000km、33ヶ国を一年かけて走破した。1997年には今度はヒマラヤ山脈に挑戦。帰国後、1999年にはソニアと結婚。そして2001年1月1日、夫婦はいよいよアフリカ大陸へと出発した。人類が初めて誕生したとされるアフリカ大陸東部、南北を走るグレート・リフト・ヴァレーに沿って14000km、3年間、それは徒歩での旅だった。そして、今秋、7歳と4歳のふたりの子供を連れて一家4人は日本へと出発しようとしている。

「日本語は実に面白い。日常の所作・希望・感動といったものを図式化して言葉にする。まさにクリエーティブな国民性だということがそこからも伺える。」 毎月、日本語の先生について、いま日本語を特訓している。しかし、ふたりはまったく意に介する様子もない。アフリカに行った当初、片言もしゃべれなかったふたりだったが、それでも毎日、現地の人たちと触れ合うことによって充分に意志の疎通ができたからだ。それもまた旅の目的なのかもしれない。そんなアレキサンドルとソニアが今回、日本の旅で一番関心を持っているのは「人間国宝」と呼ばれるひとたちに出会うことだ。書道家・陶芸家・彫刻家・・・・と、その夢は尽きることがない。

南北3000km、子供たちが歩き疲れた時のことを想定して人力車を伴った旅にしたいと言う。果たしてプッサン・ファミリーの冒険、どんな旅が待っているのだろうか?

            写真   パリ郊外にあるプッサン・ファミリーの自宅で

vin et culture (2011.01.25)  |  未分類  | 

2011.01.21

国家建造物を維持していくことの大変さ

国じゅうが美術館のようなフランスでは、いわゆる国家遺産的建造物を維持していくことは並大抵のことではない。地震大国の名のもとに古い建造物をどんどん破壊して近代的なビルに建て替える我が国ニッポン、結局はそのほうが安上がりだし景気刺激策にもなるのかもしれない。でも、だからと言って歌舞伎座を壊したり、築地を移転させたり、国会の真後ろに高層ビルを建てたり・・・と、文化も歴史もなんのその。効率化のためなら右も左もおかまいなしにブルドーザーがガンガン音を立てて破壊していく風潮に私はだまっていられない。

しかし、このところフランスでも財政難を理由に国家建造物を「売り」に出している。フランス革命(1789年!) で国王や貴族階級が手放した多くのシャト―や土地・家財道具といったものはいわゆる文化財として今でも国が管理しているという背景がある。それに加えて1905年以降、数多ある教会までもが国の管理下に入った。こうした国家的建造物の経済的価値は金額にして12兆ユーロ、国民一人当たりの国内総生産の7,4年分に相当するという。しかし08年よりその価値は減少気味。しかも建物は維持していくにはお金がかかる。その費用はいったいだれが負担するのか? 当然 国であり、我々国民の税金である。モンサンミッシェルやルーヴル美術館・ヴェルサイユ宮殿など観光客が途切れることなく訪れる採算のとれたモニュメントは全国でも6ヶ所しかないというから、やはり懐事情はどこもお寒いのだろう。

という訳でその負担を少しでも軽減する為に、とりあえず文化省が管轄する建物を売りにだそうと国も躍起になっている。ただ「売る」と言ってもフランスでは土地は国の所有物だから、その上に建っている建造物の権利を30年とか99年といった単位で買うことにしかすぎない。さすがにフランスの法律はがっちりと国民のために守られている。国家モニュメントを一部「賃貸」して民間に管理してもらおう、というのが本当のところだ。 やっと菅政権でも外国人の土地取得規制が検討されはじめたというから、日本人も自国の資産価値の大切さに気づき始めたのだろう。

それにしても田中角栄時代に「日本列島改造論」と称して国民に土地を持つことの大切さ・価値観を教えてくれたのに、どうして、こうも外国人には日本の大切な国土を切り売りしちゃうのだろうか?  フランス人と話していると「これは先祖から貰った箪笥」とか言っても、すぐに18世紀~19世紀のものだったりするは当たり前のこと!! そのあたりの時間軸の長さにはホントびっくりさせられるが 、日本でももう少し先祖代々の土地とか歴史観のあるモノを文化的価値のあるものとして大切にする心をはぐくんで欲しいと思う。心の整理とかいって捨てることだけが尊い文化だと私はぜったいに思わない・・・・

         写真  毎年800万人の人が訪れるヴェルサイユ宮殿、夕陽に反射して絢爛豪華に輝く「鏡の間」。

vin et culture (2011.01.21)  |  未分類  | 

2011.01.18

チュニジア崩壊

「1月14日は勝利の日だ!」「我々はアラブ諸国で民主主義を勝ち取った最初の国だ」。ラジオから流れてくるチュニジア市民たちの肉声、喜びと喧騒が入り混じったその声には自分たちの国を命がけで守ろうとする熱気が伝わって来る。昨年の12月より国内の混乱はすでにはじまっていた。そのきっかけとなったのは、町中で野菜を売ろうとしたひとりの若者が警察に阻止されたことに抗議して焼身自殺を図った。それが引き金となって全国規模で暴動が広まっていった。

学校を卒業しても就職できない若者たち。そんな失業者たちの行き場のない怒りが沸騰点に達した。そんな混乱を先導し、報道しつづけたのは彼ら自身だった。ツイッターやフェースブックで次々に流される映像やライブ情報。そんなひとりひとりの若者たちのパワーが、強権的政権を崩壊させるだけのパワーに増殖され、24年間続いたベンアリ大統領を追放にまでおいやった。こんなにまでも政権崩壊・革命というものが、あっという間に行われてしまったことに驚きを隠せない。それはまぎれもなく新しいネット時代の到来ともいえる。

モロッコ・アルジェリア・チュニジア、北アフリカのマグレブ諸国の中ではもっともヨーロピアンナイズされた観光国というイメージのチュニジア。もうかれこれ20年ぐらい前に訪れたカルタゴの遺跡やジェルバ島のリゾート地にはたくさんのヨーロッパ人がバカンスに訪れていたのを思い出す。真っ青な地中海を見下ろしながら白亜のしゃれた建物が夏の太陽にキラキラと輝いている。フレンドリーなチュニジアの人たち。そんなイメージを持っていただけにショックを隠すことはできない。しかし、そんな笑顔の下に隠されていた彼らの苦悩、政府に対する不満といったものが爆発して次々と事実が明らかにされていく。このチュニジア革命が中東諸国のこれからを左右していくのは、もう時間の問題だ。まさに歴史の1ページが今また塗り替えられようとしている。

       写真    身内優遇政策だったかつてのベンアリ大統領一家の姿   Le Parisien

vin et culture (2011.01.18)  |  未分類  | 

2011.01.13

ケルト文化が色濃く残るブルターニュ

何とも形容しがたいケルト文化の根源ともいえる教会に出会った!!  その異様なまでの美しさには、まさにこの地方が辿ってきた民族の闘いの歴史が伝わってくる。フランスの北西部、ブルターニュ地方はその三方を大西洋に囲まれた風光明媚な海岸線で知られている。「最果ての地」を意味するフィニステール県は、半島の西側の突端に位置する荒涼とした辺境の地で、そこにはケルト文化が今でも色濃く残っている。

ケルト文化とは紀元前6世紀にブルターニュ半島にケルト人が定住したのがはじまりで、その後、ローマ人の支配でガロ・ローマと呼ばれる期間が500年あまり続いた。フランスというよりも、むしろアイルランドやウェ―ルズ・スコットランドの影響を受けた独特の文化圏で、今でも町の至る所にはブルトン語で書かれた標識が目を引く。

中でもサンテゴネック・ギミリオ・ランポールギミリオという内陸の3つの隣り合わせの町には16-17世紀に建てられた教会が、その複雑怪奇な石の彫刻で圧倒する。『聖堂囲い地』と呼ばれるように教会や納骨堂・チャペルのまわりにはグレーの花崗岩に彫刻されたキリスト受難の群像やキリスト磔刑像が空に向かって高々と聳えている。それを取り囲むようにしてア―チ型の塀が残っているのが特徴だ。

フィニステール県といえばもうひとつ、ケルト民族古来のポップ・フォークアーチストのセシル・コルベルの故郷としても知られている。彼女はスタジオ・ジブリが制作した最新作、『仮暮らしのアリエッティ』の主題歌をハープの音色とともに歌っている。そんな彼女の透き通った歌声を聴きながらケルト文化に浸ってみる。何とも言えない贅沢である。

    

            写真  ギミリオの教会とサンテゴネックの十字架に張りつけられたキリストの受難群像

vin et culture (2011.01.13)  |  未分類  | 

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  • 南谷桂子
    vinetculture@wanadoo.fr
    フランス在住
    株式会社ワインと文化社
    代表取締役・ディレクター

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