2016.10.04
パリのアルマ橋から見渡すエッフェル塔はことのほか美しい。私がパリで最も好きな場所のひとつであるのは間違いない。いつもケ・ブランリー民族博物館に行くときには、わざとメトロのアルマ・マルソウ駅で下車して歩いて橋を渡る。そうすればエッフェル塔と並んで1920年代のどっしりとしたアールデコ様式の国立気象観測所の建物が対で堪能できるからだ。ところが、な、なんと、そこにあるはずの気象観測所がロシア正教会に建て替わっているではないか! しかも太陽の光に反射してギラギラと輝く銀色の巨大な鐘楼が目に飛び込んでくる姿はもうショックを超えて絶望に近いものだった。その場所をわきまえない巨大さに、思わず絶句してしまった!!!
近くにいたふたりの若いフランス人男性がシゲシゲトこの建物を見ながら建築談義をしている。「ボンジュール、メッシュー、突然、ぶしつけな質問を許してほしいのですが、いったいこの建物は何なんですか?」「これはロシア大正教の新しくできた教会です。何て見事なんでしょう。銀色とベージュのハーモニーは実に美しい」「ここに教会を建てて、その周りにロシア図書館やレストラン、娯楽施設を建設する予定だとか・・・」「ロシアのプーチンの前ではフランス政府は物を申せない。何でも売ってしまうのですよ!」と、あっけらかんに話してくれた。
それにしても・・・である。パリの街が中国やカタール、ロシアの資本にどんどん侵されていることは知っている。フランスではカトリック教の次にイスラム教が台頭しているのも移民や難民の数の多さを見れば一目瞭然だ。かつては「自由・平等・博愛」精神の下、外国人亡命者たちを積極的に受け入れていたフランスだが、今ではそんな余裕すらもない。” ある程度の外国人を受け入れることは「文化の交流」という意味では幅広い知識を得るのには欠かせないポジティブな要素である。” そう言ったのはフランスの知性、社会学者のエマニュエル・トッドだが、しかし現在の行きすぎた状況を見る限りナショナルアイデンティティーの喪失・外国人アレルギー・排斥運動が毎日のように起こってもおかしくない。
宗教や文化の違いからくる摩擦は人間関係を荒廃させる。ミキシテ・ソシアル=ダイバーシティー、差別や隔離のない社会的共存性をベースに宗教・性別と無関係に人々が自由に行き来できる社会を私は理想だと信じてきたが、こうした相手の文化もわきまえず土足でドヤドヤと上がってくる人たちを見ていると、そんな理想が最近ガタガタと音を立てて崩れていくような気がする。
写真 真っ青に晴れ渡った空に、ひと際輝くロシア大正教の建物、エッフェル塔が小さくかすんで見える。