2010.10.11
フランスといえばワインの国。ボルドーやブルゴーニュ、アルザス・・・、フランスに馴染みのない人でも、こうしたネーミングを聞けば”なるほど”と喉をごくりと鳴らす人も多いはず。しかし案外と知られていないのがこのパリのモンマルトルにあるワイナリーだ。その名も「ヴィーニュ・ドュ・クロ・モンマルトル」( Vigne du Clos Montmartre ) と呼ばれており、畑は0,15 haの広さで所有者はパリ市、管理者は18区の区役所ということになっている。(注:モンマルトルのある場所が18区だから) 収穫量も昨年2009年は501リットル、1003本が生産された。畑は住宅街のど真ん中、背後にはサクレクール寺院の真っ白い塔がみえる。まさにパリのカンパーニュといった風情だ。
毎年10月の第二週目はモンマルトルの『ぶどう収穫祭』が行われる。今年は10月6~10日の4日間で、雲ひとつない快晴に恵まれたせいか50万人の人たちは訪れているというから『パリ・プラージュ』(セーヌ河の海水浴場)や『ニュイ・ブランシュ』(バリ中の真夜中の祭典)につづく「パリの3大祭り」のひとつだというのもうなずける。メトロを降りると偶然にもカフェのテラスに”モンマルトル共和国”( Republique de Montmartre ) と名乗る人たちと遭遇した。黒い帽子にビロードの黒いマント、赤いマフラー姿のリュック・レイナ―ルさんはトゥールーズ・ロートレックのような風情で、ちょっと知的な雰囲気が漂うと思ったら何と南仏のブドワンという町の市長さん。真ん中の恰幅の良い女性はマルティーヌ・モラン・ド・ウィエスニエスキさんといって東欧出身の貴族。左端のメガネをかけた美人はセリーヌ・ペテールさん、パリ市役所でドラノエ知事の右腕。なんか偶然にしてはお歴々の方たちに出会えたものだ。という訳で、この”モンマルトル共和国”について訊ねてみた。
1921年にモンマルトルの芸術家たちを中心に恵まれない子供たちを救済することを目的として誕生したのが始まりで、今では500人以上のメンバーがいるという。もともと、ここで獲れるワインを広めることを目的として生まれたワインの騎士団だが、ユーモアも交えて名前も”モンマルトル共和国”にしたという。共和国という名前だけあってメンバーたちは大臣・大使・領事・代議士・市民といった階級に分かれている。このリュックさん、否、レイナ―ル市長は大臣の肩書きでセリーヌさんは大使の肩書きをもっている。また今日、メンバーに認められたマルティーヌさんは代議士だ。皆さん、肩書きを記した名刺なんかも持っていて交換しあっているのがユーモラスでおかしい。
このモンマルトル辺りは通称「丘」とも呼ばれているが、ここに住む人たちは自分たちはフランス共和国とは一線を画す独立した村だと考えている。実際に一歩足を踏み入れると、ここがパリとは思えないほど閑静でのどかな風情は芸術家たちが好んで住みたがるのもよく分かる。こんなところで自分たちのぶどうを植えて、毎年秋の訪れとともにぶどう収穫祭をおこない”モンマルトル共和国”の一員としてワインで乾杯する。その収益は恵まれない子供たちの財団へと寄付される。そんな独立した共和国が本当に存在すればいいのに! と、思える出会いだった。
写真 ”モンマルトル共和国”の衣装を身にまとったワインの騎士団たち。メンバーの証し、メダルを披露してくれた。黒いビロードのマントには”モンマルトル共和国”のワッペンが縫い付けられている。今日、メンバーになったマルティーヌさんの表彰状。