2012.06.19
フランス人に生まれてきた以上、必ず通過しなければならないのが『バカロレア』 (通称「パック」) と呼ばれる大学レベルの高等教育資格のためのセンター試験。朝8時、4時間にわたる試験に今年は73万人の高校生たちが挑んでいる。初日は哲学で始まるのがならわしだ。その題目をちょっと覗いてみると、「仕事によって何を得ることができるか?」「スピノーザの神学政治論について述べよ」(文系) 「国家が不在である場合、より人は自由になれるのか?」「ジャンジャック・ルソーのエミールについて述べよ」(理数系) 「働くこととは有益なことばかりなのか?」「ジョージ・バークリーの主観的観念論について述べよ」(社会・経済系) 。
17~18歳の高校生がこんな超難問に向かい合うこと自体、私のような日本人にとっては凄いことだなー! と思ってしまうのだが、しかし哲学カフェや議論好きの井戸端会議がいたるところで繰り広げられるお国柄。 ” 我思う、ゆえに我あり” ( Je pense、 donc je suis ) というデカルトの格言が日常茶飯事に飛び交っているフランス人の会話を聞くにつけ、「哲学」はやっぱり彼らにしてみれば一種の知的遊戯・頭の体操なのかもしれない。
フランスで大人気の物まねお笑い芸人のニコラ・カンタルーのジョークから。「哲学と言えばギリシア。でも今のギリシア人は哲学よりももっと経済を勉強すれば!!?」 うんうん、これにはさすがの私も納得するのであった。