2016.06.16
パリのグランパレ国立美術館で現在、ポルトガル人の画家『アマデオ・デ・ソウザ・カルドーソ』の展覧会が開かれている。この人の名を聞いてピンとくる人はよほどの美術おたくといってもいいだろう。事実、展覧会のパンフレットにも「20世紀という時代に、これほどまでの才能にあふれたアーチストが忘れ去られていた事実は他には例をみない」と書かれている。たった31歳という若さでこの世を去ったこの画家、その軌跡をたどってみよう。
1887年、ポルト酒で有名なポルトという町にほど近いマンホーフというところで生まれた彼は、当時としては写真というものは貴重な手段の一つに違いなかったであろうが、ファミリーの肖像・住んでいた家・乗馬姿といったようにたくさんの写真が残されている。そんな所からも彼自身ブルジョア階級の出身であることが容易に窺い知ることができる。そんな彼の生涯はふたつのエポックに代表される。ひとつは1906~1914年、パリで活動していた時代。そしてもうひとつは1914~1918年、故郷に戻りその短い一生を終えるまで。前者は都会的なモダンな生活、芸術家たちとの交流、後者は田舎の田園風景・自然をこよなく愛した彼の面影が漂う。どちらもアマデオにとっては必要不可欠な生活だったのだろう。
パリで最も親交を深めたモジリアニ、ブランクージ、ロベール&ソニア・ドローネなど、彼らと一緒に「サロン・ド・パリ」「アーモリー・ショウ」(米国)「サロン・ドートンヌ」(ベルリン)にも参加している。しかし、第一次世界大戦中の勃発とともに故郷に疎開した彼は、そこでスペイン病にかかり帰らぬ人となった。
力強い筆のタッチ、構図、色使いなど当時の美術シーンを席捲していたキュービズム・未来派(20世紀イタリアを中心にロシアなどで進められた前衛派)・オルフィスム(ドローネ夫妻に代表される色彩の活用・キュービズムの構成に未来派の発想を加えたもの)・表現主義などの影響を多分に受けた作品が、これでもか、これでもかと執拗に、しかも忠実に描かれている。そんなところに若く血気盛んなアマデオがパリという芸術の街で必死に学び習得して行く過程が見てとれる。それは我々訪れた者をストレートに虜にする。しかし敢えて言うならば、30歳はまだ人生の半ば。これからもっともっと年を経て人間としての成熟度を増し、それが作品にどう影響を及ぼし、そして開花していったであろうかが見れなかったのは本当に残念である。晩年の彼の進化した作品が見てみたかった。パリを訪れる機会があれば是非とも必見の展覧会である。
写真 数多くの芸術家から影響を受けたことが容易に察せられるアマデオの作品。若いが故に時代の波・ムーブメントを必死に吸収し自分の世界を作り上げようとしていたことが分かる。2016年7月18日まで。http://www.grandpalais.fr