2016.01.22
1793年1月21日10h22、フランス最後の国王ルイ16世がコンコルド広場で断頭台の露と消えた。1789年のフランス革命により、それまでの絶対王政から立憲王政、そして共和制へと変貌を遂げたフランス、まさに市民が市民のために勝ちとった市民革命だともいえる。以来、今日までフランスは共和国として君臨している。
毎年、この日がやってくるとフランス全国の都市ではロワイヤリスト(王党派)とレパブリカン(共和党派)に分かれて、それぞれがそれぞれのの想いを抱いてその日を迎える。王室の象徴でもあるヴェルサイユ宮殿、そのチャペルでは盛大なミサが行われる。「王侯貴族こそが世界に誇れるフランスの宮廷文化を築き上げたというのに、なぜ国民によって裁きを受け、裁判にかけられ処刑されなくてはならないのか?」ジャケットの襟に王室のシンボルマークの白百合型のピンズをつけた青年が淋しそうな表情をしている。一方「自由・平等・博愛の精神こそが健全な市民の証し。こうして今、自由を謳歌できるのはフランス革命が起こったからこそ。ヴィヴ・ラ・フランス!」そんな気勢を上げるのはジャーナリストや作家・哲学者などが一堂に会したテーブルだ。”テット・ド・ヴォー” と呼ばれる”牛の頭”を丸ごと煮込んだ古典フランス料理を口角泡を飛ばしながら食すのである。牛の頭こそ王党派の人たちを意味する”隠語”なのだ。
かつてフランス革命の嵐の真っ只中、ダントン・マラー・ロベスピエールといった革命の主役たちが次々にコンコルド広場に送り込まれ、ギロチンで処刑されたのを見届けた後に付近のレストラン「ルドワイヤン」でご馳走を頬張ったといわれる革命児たち。そんなたくましい胃袋を持つ彼らだからこそ成し遂げられた市民革命だったのかもしれない。それにしても処刑から235年を経た今日でも大勢の人たちがこの永遠の議論に花咲かせる一日。何ともフランス的なる光景ではないか!
写真 パリ郊外にあるサンドニ大聖堂にはルイ16世とその王妃マリーアントワネットの肖像が飾られている。彼女も10か月後、後ろ手に縛られ肥料運搬車で市中を引き回された末に処刑された。