2015.08.06
「1945年8月6日月曜日、夏特有の真っ青に晴れ渡った朝だった。8時、いつもと同じように軍需工場に働きに行く労働者や徴用工、勤労動員された中学生たちで広島の町の中心部はごった返していた。8時15分、上空を飛んでいたアメリカ空軍機B-29の一機からリトルボーイと名付けられた原子爆弾が投下された。その45秒後、人類の歴史上はじめて誰もが経験したことのない2万トンを上回る爆弾の威力とともに原子爆弾が炸裂した。核兵器が使われた最初の戦争だった。・・・しかし、太平洋戦争すでに劣勢が伝えられた日本軍、その力尽きた状況下で敗戦も時間の問題と言われていたこの時期に原爆を投下することの意味がどこにあったのか?トルーマン大統領が” マンハッタン計画 ” の名のもとに原爆投下の指令を承認したが、実際には原子爆弾の破壊力というものを試してみたいが故に決行した・・・」。そんなコメントを嬉々とし、しかも堂々と語っているアメリカ軍部の上層部のコメントを映し出したドキュメンタリーが仏独共同チャンネルのTV局「ARTE」で放送された。
「戦争」というものは理不尽なことばかりである。科学の発明・力を試してみたいが故に「戦争」という名のもとに蛮行が許される。このドキュメンタリーのなかで被爆した日本人の何人もの歴史の証言者たちは言う。「こんな地獄は決して繰り返してはならない」と。地球上、唯一この地獄を体験した日本人だからこそ「平和であることの重み」を世界中に発信し続けなければいけない。それが日本人として生まれてきた私たちの義務だと思う。
写真 『パリ解放から広島・長崎まで』と題された展覧会が現在パリ市庁舎で開催されている。その案内を告げるポスター、その下には” 第二次世界大戦終戦70周年記念 ” と書かれている。