2014.11.10
今、パリの国立美術館グランパレで『HOKUSAI』展が開催されている。入場券をネット予約できる今日の美術館事情ではあるが、たまたま時間が空いたので急に思い立って行ってみることにした。すると何と延々長蛇の列。一時間ほど並んでやっと中に入れたものの人・人・人。凄い! 浮世絵という性格上、会場内を暗くしているせいもあってか人と人がぶつかりあう。それでも小さな手帳に北斎の人物画を一生懸命に模写する画学生とおぼしき女性や、食い入るようにその細密画を見つめる老紳士、今風のファッションに身を包んだ若い子たち・・・、こんなにもHOKUSAIが” スーパースター ” だったなんて驚きだ!! しかし、その人気ぶりには納得。浮世絵師としてマンガ家として、そして最後には絵筆を握り肉筆画帖も含めて生涯3万点にも及ぶ作品を残したといわれる北斎は、まさに「画狂人」という言葉がぴったり、フランス語でいうところの” fou de peiture ” (絵の気狂い!) だった。その巧みな画法・緻密なテクニックは3世紀を経た今でも実に生き生きとしている。
生涯において30回も改号した彼は、それぞれの時代・時代に新たな境地に辿りついている。そして最後には北斎はこんなことを語っている。「70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。」――80歳以降の北斎は長い人生を一歩ずつふみしめるかのように、制作したほとんどの絵一図一図に日付を記したとある。そしてこんな言葉を書き残した。「天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし 」。――もうあと5年間長生きできたら、本当の画工になることができたものを。謙虚な画人だった。
写真 グランパレの入口に張られた『冨嶽三十六景』より” 神奈川沖浪裏 “のポスター、富士山を背景にブルーと白の砕け散る波頭を描いた浮世絵は北斎の代表作。また” 赤富士 “で知られる『凱風快晴 』も人気が高い。1817年、56歳の時に描いた『大達磨揮亳の予告黒摺引き札』が階段の踊り場に。人々の生活感を『北斎漫画』として描いた彼は、その日常のひとコマひとコマシーンをスクリーンに見立てた壁に投影する、という斬新な見せ方も今回の展覧会の目玉だ。