2013.12.01
北海道の十勝平野に位置する新得農場で『共働学舎』を経営する宮嶋望さんにパリでお会いした。そこでは知的障害者や心を患った人たちが一緒に生活しながら手作りのチーズ作りに励んでいる。2008年の洞爺湖サミットでは世界中の首脳の晩餐会にふるまわれたり、”山のチーズ” のオリンピックでは欧州の強豪をしりぞけて見事に金賞に輝くなど、国内は勿論のこと世界的にも高い評価を得ている。
そんな宮嶋さんに「”山のチーズ” の定義とは?」と尋ねたら「標高が700m以上で傾斜が20度の斜面という厳しい条件の山間地で放牧されている牛の乳は最高のクォリティー。そこから採れた乳だけを使ったチーズ」なのだそう。海岸線から離れているので海の影響を受けていない植生があるなど、経済的にも不利な地理的条件の下で作られるのが条件だ。新得町は標高こそ240mと低いが緯度が高く、また府県の標高600mと同じような植生がはえていること、最も海から遠い地点であることなどの条件を満たしていることからフランス農務省が現地を視察に訪れた際にこの国際コンテストの参加が認められた。
「シントコ」「コバン」「さくら」・・・チーズのネーミングもユニークだ。かつてはカモンベールタイプやモッツァレーラ、ラクレットなど見よう見まねで作っていたが「いつまで欧米のコピーをしているのか。もっと北海道らしいチーズ作りに挑戦してみては!」というフランスの原産地呼称制度の会長に発破をかけられ、それならばと北海道に多く自生する熊笹の葉を粉末にして混ぜ込んだ“笹塩”という特別な塩を使い、仕上げにその熊笹を巻いた「 笹ゆき」が誕生した。
宮嶋さんは社会的弱者を労働力として雇用することによって珠玉のようなチーズ作りに成功した。この山のチーズのオリンピックも経済的に不利な地域の産業を守り地域の食文化・生活文化を守ために始められた。時間をかけて、ひとりひとりの個性に寄り添いながら忍耐強く人を育ててモノづくりを行っていく。それはまさに過酷な自然という悠久の世界に一石を投じながらもその可能性を信じて突き進んでいく信念のようなもの。宮嶋さんのそんな骨太い生き方から勇気をもらったような気がする。
写真 手塩にかけて作ったチーズを披露してくれた宮嶋さん。パリ郊外のビオ農業で就労支援を行う『ジャルダン・ド・コカーニュ・サンカンタン・イヴリーヌ』を一緒に訪れた。アラン・ジェラール所長も宮嶋さんとは意気投合。