2011.09.08
シルクロードを旅した。中国という国は、とにかく”でっかい”。どこまでもどこまでも果てしなく続く荒涼とした大地、バスで何時間も走り続けても”同じ景色が続いている”。そんな体験は日本では到底あり得ない。大自然のなかで生きる少数民族の生命力に、あらためて人間の力・知恵・バイタリティーに感動した。
敦煌から安西、そして酒泉にいく道中は風の通り道で風力発電が無数に回っている。今回、ご一緒したツアーを率いる団長さんで元NHKのシルクロード取材班団長を務められた先生は、『敦煌』の作者でおなじみの井上靖氏と旅を共にした際に氏がふと漏らした言葉をこんな風に語って下さった。「敦煌という小説を書いていた時代はまだ一般人が中国を旅することは禁止されていた。イマジネーションで書き上げた作品だ。しかし、安西に向かって吹きおろすこの風を知っていたら、多分、戦闘シーンも違ったものになっていただろう!」
あぁ、なんてエキサイティングな言葉なんだろう!今回、参加したツアーでは「シルクロード」をこよなく愛し、もう何度も訪れている方たちもたくさんおられた。私のような初心者でちょっとお気楽に旅しているのがちょっと気恥ずかしいような雰囲気もあったが、しかし私にとって印象的だったのは中国という国が抱えている民族の集合体というということの意味だ。漢民族とそれ以外の55もの少数民族が同居する中国という、あまりにも巨大すぎる国の運命。過酷な大自然のもとで民族の闘いを通して生き抜いてきた歴史を背景にして、彼らにしてみれば日常の些細なことにいちいち一喜一憂していてもはじまらないのだろう。そんなデ―ンと構えたある種の大雑把さに私はなぜか中国人の本質を見たような気がした。箱庭的でチマチマした日本人とはまったく逆なもの。中国の人たちにしてみれば、そんな日本人なんか所詮はお釈迦様(中国)の手のひらで遊んでいる少数民族のひとりぐらいにしか考えていないんじゃないだろうか? そんなことを思ったシルクロードの旅だった。
写真 砂漠のオアシス「鳴沙山」、晴れた日に風が吹くと砂が流れ、その音が管弦や兵馬が打ち鳴らす太鼓やドラの音のように聞こえるともいわれることから、この名前が付けられたという。